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南部菱刺し

 南部菱刺しはこぎん刺しと同じく江戸時代に始まったと考えられ、主に八戸を中心とした青森県東部、三戸、五戸、七戸、上北町、館、下田、市川地方で刺されている。
 菱刺しは浅葱色の麻布を表地、古着の木綿を裏地として、当初は麻糸を使用し、木綿糸が流通し始めて(明治時代)からは白黒の木綿糸で刺すのが一般的になったと言われている。
 大正時代には、農村部にも色毛糸が流通するようになり、麻布に色とりどりの毛糸を刺した希少な装飾も生まれたようだ。前掛けや子供の足袋に丁寧に、そして色鮮やかに刺していたようである。その色は南部の色使いとして親しまれ、まるで南部の自然をそのまま菱刺しに反映させたような独特な彩りだったそうで、人から人へと刺し継がれ、残った模様は数百種類にも及ぶそうである。
 嫁入り前の娘達が夜集い、囲炉裏の周りで菱刺しを楽しみ、誰が一番多く刺し子の種類を刺せるかを競いあったりもしたという話しも残っている。器用で裁縫の上手な娘は嫁入り先に事欠かないと言われ、親は我が娘に、子供の頃より熱心に刺し子を教えた。不器用で裁縫ができない娘は、嫁のもらい手がなかったり、他所に頼んで嫁入り道具の前かけを刺してもらったり、嫁ぎ先では姑に代わりに針仕事をしてもらったりと大変肩身の狭い思いをしたようである。(八田愛子・鈴木堯子『菱刺しの技法』美術出版社)
 個人所有の古作の中には一枚の布に、びっしりと赤や紫、緑など彩り豊かな糸で、何種類もの菱刺しの模様が刺された見本刺しが残っており、この見本刺しを見ながら、模様の配置を考えたり、人へ教えたりすることもあったのだろうか。
 こぎん刺し同様に民藝運動後に古作の収集・調査が活発になり、模様はグラフに図案化され、何百と言う新しい模様も考案されるようになった。

田中忠三郎氏(1933-2013)

 青森県に生まれ育つ。民俗学者・民俗民具研究家・著述家、浅草のアミューズミュージアム名誉館長。
 2万点以上に及ぶ民具・衣服などの貴重な日本のアンティークコレクションの収集に奔走。
 2012年、青森県立郷土館にて、田中忠三郎氏が長年にわたり収集した津軽・南部のさしこコレクション786点から200点余を厳選し「さしこ~重文・田中忠三郎着物コレクション」というイベントが開かれた。 このイベントの際に出版されたと思われる『津軽・南部のさしこ着物 : 重要有形民俗文化財田中忠三郎着物コレクション : 786点オールカタログ』青森県立郷土館/2012年が青森県立郷土館にて販売されています。
 田中忠三郎氏の収集したコレクション(縄文遺跡の考古学資料約1万点、民俗資料を含む約2万点)は、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に収蔵。
 また、田中忠三郎氏の著書に『南部つづれ菱刺し模様集』(北の街社/1977年)という391もの菱刺しの模様が収められた貴重な図集がある。千部限定で出版され現在は絶版。
田中忠三郎氏の著書の多くは、国立国会図書館 東京本館に所蔵があります。
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