上杉花雑巾
手に入る文献が少ないため、簡単なご紹介だけさせていただきます。
江戸時代中期頃より、山形県米沢では、旧米沢藩士族の上杉原方衆と呼ばれる半農半士の屯田兵の妻たちによって雑巾刺しが作られていました。
刺し子研究、殊に旧米沢藩の花雑巾、山形紅花商人の刺し風呂敷の研究で著明な徳永幾久さんが、この地方に見られる雑巾刺しを上杉花雑巾と名付けました。
上杉花雑巾の特徴は、雑巾の面を亀甲文や松皮菱で分割し、その区画の一つ一つに、稲、麻、紅花、柿花、銭、ソロバン、矢羽根などを刺す独特な手法です。刺し模様には農産物の豊かなみのりや生活の安泰、夫の出世、子供の健康など、人々の祈りが込められています。
また、針目に糸を通すくぐり刺し(通し刺し)は、上杉花雑巾由来の技法であると言われています。
同じ山形県内の遊佐刺し子とは、似た文様が存在するなど重なるところもいくつかありますが、どのように関係していたのかはわかっていません。
上杉花雑巾から伝承された技法を原方さしことして創作活動をなさっているのが遠藤きよ子さんです。原方刺し子には、米刺し、麻の葉刺し、矢羽根刺し、小鳥が千羽、口刺し、銭型刺しなど80種類以上の刺し文様があるそうです。
隣り合わせの地域(山形県長井市)で旧家に残された雑巾から刺し子の技法を学び、独自の手法を開発・普及に努めている方々が長井刺し子の皆様です。一目刺しのように5mmや1cmの方眼線を引き、縦・横・斜め、「くぐり刺し」を使う置賜刺し子が元になっており、考案した基本模様は100種類以上とのことです。長井市の公民館で販売されている冊子長井さしこがあります。山形県の内陸部南部を置賜地方と呼ぶようです。米沢、南陽、長井が含まれます。おそらく、この地方でみつかった雑巾などを受け継いだ刺し子を総称して地元では「置賜刺し子」と呼ばれているのでしょうか。この辺りはもう少し調べてみたいと思います。
参考書籍
・全国の伝承 江戸時代 人づくり風土記6 山形(1991)・林ことみ(2014)林ことみの刺し子ノート
・遠藤きよ子(1986)花ぞうきん
・遠藤きよ子(1992)ふるさとの玉手箱 : 刺し子作品集
・遠藤きよ子(2007)木華のさく頃 : 米沢の刺し子